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Okäru Lovelace

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"ニューアルバムをリリース"

クラシックピアノを4歳から始める。6歳頃から作詞/作曲をはじめ、8歳の時に鳥取県小学校教育研究会作曲賞を受賞。看護師であった母の願いで、米子北高等学校衛生看護科を卒業後、奈良文化女子短期大学衛生看護科を卒業、国家資格を取得。大阪、とくち内科で正看護師として3年働くが、テレビでインタビューを受けている社長さんの“あきらめない“という言葉に強い影響を受け心の奥にずっとあった音楽への道を選択。後世、それがパナソニック社 松下 幸之助氏だったと知る。看護師をしながら、大阪で歌いはじめ資金を貯め、1994年からオーストラリア、シドニーで歌とダンスのショーを1年間行う。ショーはTRFのダンサーサム等にも高評価を受けた。その時、本名のKAORUを文字ってOKARUと愛称され好評を得た事からおかあるという芸名が誕生した。

ニューヨークでジャズを本格的に学びたいと1996年単身渡米。マンハッタンスクールオブミュージック大学夏期ボーカル科,ブロドウェイダンスセンターに通い、歌とダンスの基礎を学ぶ。ジャズレジェンドミュージシャン(バリーハリス、ノーマンシモンズ、ジミーラブレース、ランディーウエスタン等)に師事し生きたジャズの歴史や知識、技術、意味を学ぶ。

ソロボーカリストとしてニューヨークジャズシーンで活動を始める。ジョージベンソン/ウェスモンゴメリー等とレコーディングを残しているジャズドラマー、ジミーラブレースと結婚するが、ラブレースは末期癌だと告知され数ヶ月で他界。その後、音楽が癒しや人の心に響けばと心の中から出てくる自己の世界感を追求し作詞/作曲に力を入れるようになる。代表作はニューヨークで経験した同時多発テロの後子供達が希望や夢をもたら続けられる平和な世界を願い書いた"光はいつも空に", 名前にも由来する”星”に秘められた力が願いを叶える”星のサンバ"や自然をテーマにした地元大山への想いを込めた"ようこそ大山へ"などのオリジナル曲をCD収録している。

ジャズファンデーションオブアメリカが主催するジャズジャムセッションの司会を3年間勤めニューヨークジャズコミュニティに貢献した。ニューヨークジャズの本場ハーレム(黒人街)老舗‘’パリスブルース‘’でパートナーのトランペット奏者タイガーと結成したユニット「ビューティフルジャーニー」を率いて6年間レギュラーとして活動した。

眞子様も御出席された大山開山1300年祭記念イベントや大山小学校創立150周年記念式典に出演。

広島平和記念公園にて被爆ピアノとの共演、灯籠流し点灯式, 倉敷ジャズストリートや水害復興支援コンサート、宮城県石巻市での復興支援コンサート、福岡県星野村平和記念式典、姫路、新潟、横浜等国内でもコンサート/講演活動中。

BSS山陰放送ラジオ番組

‘’ジャズパーク‘’のパーソナリティーをレギュラーで6年間務めた。

コロナ禍に"ニューヨークをライブ音楽で元気に企画"を立ち上げ、セントラルパーク、5番街、メトロポリタン美術館前等でパートナーのトランペット奏者と共に歌声を届ける活動でニューヨーカーに笑顔や感動の涙を届け活動中。

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